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 時は急ぎ足で過ぎ、何も変わりない一日のように見えて、スクレモール人形院では卒業に向けてすべてがあわただしく動いている。もっとも、ぼくたち有機人形にとっては、主体的な選択肢がそれほどあるわけじゃない。どこかのお金持ちか企業、肉体改造医(クトゥーラー)、あるいは仲介業者に買われるのを待つだけだ。自分たちにできることはもし面接があった場合、買ってもらえるように媚を売るぐらいだろう。
 もう既にクラスの何人かには買い手が付いている。クラスの誰かが買われるたびに朝か帰りのホームルームでイワシ先生がクラス全員に報告し、みんなで拍手して祝福する。うち半分ほどは卒業を待たずにご主人さまの元に巣立った。誰もが喜びと誇りに満ち溢れていた。その先の未来が彼女たちにとって輝かしいものかどうかわからないけれど、有機人形とはご主人さまに全てを捧げるものだ。客観的な評価など意味はない。
 先物買いされなかった過半の卒業生は卒業式後のオークションに掛けられ、それぞれご主人さまや業者に買われる。一般にオークションの方が安値で買え、欲しい個体を比較して選べるので、「ぜひこの有機人形が欲しい」というのでもなければオークションで買う顧客の方が多い。…というより先行買いはオークションで予想される最高値を提示される。つまり、人形院側にふっかけられることが多いのだ。
 ちなみに先行買いは一、二年のときも可能ではあるが、いってみれば未完成品であり、そのことに関して後にクレームをつけられても困るため人形院側があまりいい顔をしない。クレーム対策で契約も煩雑なため、低学年時に買う顧客はほとんどいない。
 ぼくたちも去年、中等部二年生のときは先輩たちの卒業オークションの運営を手伝い、見学した。スクレモール人形院の、人形院としてのレベルは下の上…いや下の中かもしれないが、卒業オークションはそれなりに華やかだ。近隣の名士、大中業者だけでなく、遠くからも大勢の人々が訪れる。毎年来るとは聞いていたが、娼館イグドラシルの関係者までいた。
 「ぼくも来年はあのオークションで誰かに買われるんだ!」と思うとしばらくは興奮が覚めやらなかった。
 もっとも、後に動画でちらっと見たJM人形院のような最高レベルの人形院の卒業オークションの豪華絢爛さとは比べ物にならないけど…。

 その日も外は晴れていた。五限目の休み時間、机に座ってノートにつまらない落書きをしていたぼくに、シュークがそっと耳打ちした。
「今日、17時にD205教室で…」
「うん、わかった」
 ぼくは簡潔に答えた。多くを語るまでもない。この前、ぼくがあまり乗り気ではなかったおかげでできなかった行為を今日こそ為し遂げるのだ。まあ、いわゆる「初体験」だ。シュークが耳打ちした瞬間はお互い少し緊張感が増したが、あまり教室でそのことについて意識しすぎるとテレパス能力の強いクラスメイトに感づかれて気まずいことになる。むしろ意識して考えないようにした。結論はもう出ている。
 
 六限目が終わり、帰りのホームルーム。「そのこと」を意識して考えないようにと思いつつ、ぼくの心はここにあらず、半分上の空だった。イワシ先生の話もあまり耳に入っていなかった。だから最初、極めて重要な話をぼくは他人事のように聞き流していた。
「…それとあぞらんに購入の申し込みがあった。イカ・グループ取締役のアラーム氏だ。契約はまだだが、先方の様子を見る限りほぼ決定だろう。ホームルームが終わったら一緒に来てくれ」
 クラスメイトたちの拍手に包まれてぼくは初めて事態を悟った。
 ぼくは買われる…つまり「ご主人さま」が決まるのだ。それまで無彩色だった風景に一転して色がつく瞬間があるとすればまさにこのときがそれだろう。何もかもが輝いて見えた! イワシ先生が続ける。
「先方の都合でどうなるかはわからないが、あぞらんはクラスのみんなと顔を合わせるのもこれが最後になるかもしれない。あぞらん、何か一言あいさつを…」
「あ、えーと…とりあえず『さよなら』。もしかしたら卒業式まではここにいられるかもしれないけど…」
 いきなりだと気の利いたことの一つも言えない。それでも簡単な別れの挨拶の言葉を絞り出して、立ち上がったまま教室を見回す。イワシ先生の言うとおり、みんなの顔を見るのも最後かもしれない。不意に感傷的な気分になる。教室はこんなに狭かっただろうか? やけに天井が低く感じる。輝けるこの世界がぼやけて見える。シュークとも目が合う。ごめん、シュークとは何もできそうもない…。シュークもそのことを覚ったのか、悲しそうな表情と心を見せた。

「失礼します」
 ぼくはイワシ先生、教頭先生と一緒にC棟の第二応接室に入った。第二応接室は第三応接室よりも広く、大きな窓から陽光をたっぷり取り入れる構造になっていて部屋全体が明るい。鉢植えのヤシ、ゴムノキ、ポトスなど観葉植物も適所に配置されている。
 部屋の中央からやや奥まったところ、応接ソファに三人の男が座り、契約についてスクレモール人形院側の担当者が話すのを他の二人が聞いていたところだった。多分、眼鏡をかけた神経質そうな男が秘書か何か、その横で椅子に深く座った50才ぐらいの立派な体格の男がぼくのご主人さまとなるアラーム氏なのだろう。帰りのホームルームのときから高鳴っていたぼくの心臓の鼓動はますます早くなる。
 ぼくたち三人が近づいてゆくと大柄な中年男はゆっくりと立ち上がった。
「これはこれは…その子が『あぞらん』ですか。いや…実物は3D画像で見るよりはるかに美しく可愛らしい!」
 そして彼は視線をやや下に向けて微笑みながら続けた。
「私がアラームだ。これからよろしくな」
「あぞらんです。こちらこそよろしくお願いします」
 ぼくは真っ赤になっていた。いわゆる「恋する乙女」の気持ちだろうか。
 そのあと、横で契約についての会話が交わされていたが、ぼくの耳にはあまり入ってこなかった。もっとも契約や価格について、もとよりぼくがどうこうできる権限はない。聞いていなくても全く問題はない。だが、その次に行われることはぼくにとってきわめて重要だった。
「契約に問題がないようなのでこれから『誓いの儀式』を行おうと思いますが、みなさん、席を外していただけますか?」
 アラーム氏が要請すると、彼の秘書、スクレモール側の契約担当、イワシ先生、教頭先生の四人は第二応接室から出た。この部屋にぼくとアラーム氏の二人きりになる。アラーム氏はカーテンを閉めたあと、立ったまま大きな手で緊張に震えるぼくのクリーム色の長い髪を優しく撫でる。そして彼自身のものを出した。
「どうすればいいかわかるね」
「はい」
 ぼくはアラーム氏の前に跪き、それを口に含んだ。…大丈夫。ちゃんと歯は磨いた。それにどう舌や唇を動かせばいいかはだいたいわかる。男子クラスメイトのものをしゃぶったことは何回かあるし、何よりも全てはシュークが教えてくれた! ありがとうシューク! ぼくはシュークのことを一生忘れない。
 アラーム氏がぼくの長い髪をなでながら優しく話しかける。
「おまえを今後、女の子として扱うつもりだから、それでいいな」
 ぼく…わたしはアラーム氏のものを口に含んだままうなずいた。自分は肉体的には完全な男だし、精神的にも自身を男と認識しているが、ご主人さまの求めに応じて女の子になることに抵抗はなかった。また、アラーム氏自身もあえて少年を美少女に見立てて性欲の対象とするというちょっと変わった(でもよくある)性癖の持ち主のようだった。
 アラーム氏のペニスはパンツから出したとき既に半勃起状態だったが、わたしの口の中でますます硬くなっていった。苦しい…けどそれが嬉しい。彼のものがわたしが舌と唇で刺激したせいでこんなに大きくなっている…わたしはなんていやらしい女の子なんだろう…自分自身に陶酔する。体の内側から熱いものがこみ上げてくる…これがすなわち「女の悦び」…だろうか。
「く…出そうだ…いいな?」
 アラーム氏がわざわざ予告してくれる。言われなくてもわかるけど、言ってくれた方がよりわかりやすいし興奮する。わたしは口に含んだままそれを受け入れる。
 アラーム氏のものが大きく何度も痙攣し、その度に熱いどろっとした液体がわたしの口の中にほとばしる。興奮と陶酔のうちにわたしはそれを飲み干す。そしてわたしは精液の感触がまだ口に残っている中、「誓いの言葉」を言う。
「わたし…あぞらんはアラーム様のためだけの女の子になります」
 言いながら全身が熱くなり、涙が出てくる。わたしは陶酔の極に達する。なんという充実感、幸福感。全身の細胞の一つ一つ、いや遺伝子のレベルまでご主人さまに奉仕したい思いに満ち溢れている。わたしはこのために生まれてきたのだ! 彼のためならわたしの命を捧げてもいい!
 わたしは彼のペニスにもう一度キスをした。
「これからおまえは私のものだ。今から一緒に来なさい。何か持ってきたいものがあればそれも持ってきなさい…その、できればここの制服を一通り持ってきてくれればうれしいのだが…」
「…はい」
 少し微笑んで答える。ご主人さまは制服好きらしい。そういうお茶目な面があるところがわかって、わたしはますますご主人さまが好きになった。
 わたしはこれからずっとご主人さまのために生きてゆきます!
 …このときは本気でそう思っていた。後から振り返ってみれば実際にはそうはならなかったし、イワシ先生も過去に何度も「ご主人さまが替わることはよくある」と教えてくれたのだが…。

 わたしは寮に制服を取りに行くために部屋を出た。廊下には教頭先生、イワシ先生、ご主人さまの秘書がいた。一応、許可を取る。
「ここの制服を持って行ってもいいですか?」
「ああ、構わんよ」
 教頭先生が答える。わたしは一応、別れの挨拶をする。制服を取ってきてここに戻ったときには二人の先生はもうこの場所にはいないかもしれない。
「今までお世話になりました。教頭先生、イワシ先生」
 特に「イワシ先生」に力をこめる。今までの担任の先生の中で一番好きだった。
「じゃあ、元気でな」
 そう言ったのは教頭先生だった。イワシ先生は何か別のことで頭がいっぱいだったらしく、「ああ…さよなら」と慌てて気付いたように答えた。わたしもご主人さまとの新しい生活に胸をときめかせていたので、イワシ先生のこの態度はあまり気にならなかった。

 わたしは寮に向かった。何人かとはそこで改めて別れの挨拶をすることになるだろう。
 廊下の向こうから来た数人の下級生とすれ違う。上履きの色からすると二年生、すなわち来年度の三年生だ。中に何となく顔を見たことがあるような者もいるが、よく覚えていない。そしてこの中の一人がパーレヴォーという名で、後のパンテル・ネビュルーズR8であることをわたしはまだ知らない。

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