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 有機人形娼館「こんだら亭」は先日のセツ・コバ一味の襲撃で玄関部分をめちゃくちゃに破壊された。ぼくたち有機人形はここのところ毎日みんなで修繕している。業者には頼まない。資金面でちょっと苦しいし、実は修復だけではなく、次の襲撃に備えて大幅な改装及び半要塞化しているからだ。業者から敵側(あるいは現時点の味方でも)に見取り図等が漏れてもまずい。
 とにかく「こんだら亭」は今、休業中だ。
 そして今日、こんだら亭の地下会議室にて毎週金曜恒例の定例会議が開かれている。休業中なので出席率も高い。もちろん普段なら仕事中や休息中の有機人形もいて、半分ぐらい欠席のことすらあるらしい。
 この定例会議はこんだら亭の有機人形たちが金曜日の夜半から明け方に集まっていろいろな意見交換をする場だ。「意見交換」といっても大抵は困った客に関する情報共有だったり、シフトの移動に関することだったり…そしてスクレモール人形院時代の思い出話に脱線することもよくあるそうだ。
 そう、全員スクレモール人形院のイワシ先生の教え子だ。イワシ先生の教え子のうち三年代計100人ぐらいが最終学年の中等部三年次にイワシ先生の担任だった。ぼくやシュークはその三つの年代の真ん中の組で、上は三学年上、下は一学年下だ。この約100人のうち、30人くらいが今ここ「こんだら亭」にいる。最終学年でイワシ先生担任だった者たちだけが「私に協力して欲しい」と言われたらしい。
 初期の頃はイワシ先生が出席することもあったそうだが、今は気を利かせてか出ることはないようだ。ただ、セツ・コバ隊襲撃前の会議のようにイワシ先生が有機人形たちを召集することは定例会議と別にある。
 ぼくは初めてこの定例会議に出席することになった。ぼくがこんだら亭に辿り着いて最初の週はその会議の存在すら知らされず、先週は客(ボーゲン・ディーマン)からの指名があって出席できなかった。
 実は最初の会議ではぼくを受け入れるかどうかも議題に上ったそうだ。ある意味、当然だろう。イワシ先生を「ご主人さま」としないのはぼくだけなのだから。ただ最終的には慎重論はあったものの全員一致でぼくを仲間として受け入れることにしたそうだ。シュークがそう話してくれた。いや、まことにありがたい。
 地下会議室は天井が低く、真ん中に円形の大きなテーブルがあり、奥の議長席の他はめいめいが好き勝手な場所に椅子を置いて座っている。
 議長席には「こんだら亭」の有機人形たちのリーダーにも当たる清姫(きよひめ)先輩(♀)がとぐろを巻いている。いや、比喩的表現ではなく、本当にとぐろを巻いているのだ。清姫先輩は下半身が大蛇に改造された蛇型改造有機人形なのだ。三つ星人形改造医(クトゥーラー)のDr.ワモーン作。ここにいるイワシ先生の教え子たちの中で三つ星クトゥーラー作は彼女だけだ。まあ、アノマロカリス模造品のシュークやモリス(五つ星クトゥーラー)ドール・レプリカントのパンテル・ネビュルーズR8とどっちが上かは何ともいえないところだけど。
 清姫先輩の左隣にはチュー・オチューが座っている。彼がぼくたち年中組のリーダー、全体のサブリーダーでもある。彼は肉体改造はされていない。
 清姫先輩の右隣はパンテル・ネビュルーズで、彼女が年少組のリーダー、全体の第二サブリーダーだ。年少組はイワシ先生の言葉を思い出した者がまだ少ないらしく、「こんだら亭」には今のところ六人しか辿り着いていない。
 ぼくは清姫先輩たちの反対側正面に椅子を置いて座っている。左隣にはシュークがいる。
 まずはぼくの簡単な紹介と挨拶(既にみんなぼくのことを知っているけど)、続いて嫌な客に関する愚痴大会になった。愚痴はともかく、困った客に関する知識は共有しておいた方がいい。その対策も含めて。
 ぼくはボーゲンのことは別に話さない。嫌な客というよりは将来の危険分子と思っているからだ。未来予知ではない。ぼくに予知能力はない。マフィアにかかわるのは良くないという一般論、それとセツ・コバ隊との戦いでさらに要注意度は増した。射撃能力の高さもわかった。向こうもぼくを警戒しているかもしれないが、仲間に注意を喚起して相手の警戒度をより高める必要もない。かえって裏切りを呼び込むかもしれないし、始末するにしてもやりにくくなる。
 嫌な客について一通り議論が終わって静かになったところでチュー・オチューが神妙な顔をして発言する。
「皆さん、聞いてください」
 チュー・オチューの心は悲しみに満ちている。
「ぼくたち年中組のクラスメイト、委員長だったシランバが亡くなりました」
 一瞬、目の前が真っ白になる。知らなかった。特に仲が良かったわけではないが、少なくともぼくは委員長のシランバに一目おいていたし、信頼もしていた…いや、ぼくだけではなくクラスメイト全員から信頼されていた。それに、イワシ先生の「言葉」を一緒に聞いた…。
 年中組の何人かは既に知っていたみたいだが、シュークもぼくと同様、知らなかったらしい。
 ぼくはチュー・オチューが話し続けるのをどこか非現実的なもののように聞いていた。悲しみとショック状態の中でもとりあえず、言っている内容は覚えておかなければならない。
 チュー・オチューは淡々と語る。シランバはある小国の王族の家に買われたこと。スクレモールでは委員長だったが、買われた先ではどうでもいい雑用の一人だったこと。王国の後継者争いの中で、その家の赤子が不審死したこと。それをシランバの不手際のせいにされて内々に「処分」されたこと…。
 真相は分からない。永久に分からないかもしれない。そして多分、よくあることなのだろう。それがまた悲しくて暗澹たる気分になる。
 ぼくはふと、ある可能性に気付いた。ぼくがシュークを愛しているようにチュー・オチューもシランバを愛していたのではないか? ぼくとシュークよりずっと禁欲的であったと思われるが…。
 いずれにせよ、チュー・オチューの悲しみはあまりに深く、本当のところは分からない。もしかしたらチュー・オチュー自身も気付いてないのかもしれない。
 年長組、年少組の多くはシランバを直接は知らないようだったが、それでも悲しみに共感し、特に清姫先輩は嗚咽を漏らしている。清姫先輩がリーダーなのも何となく分かる。有機人形は基本的には冷静で計算高い性質だ。どんな状況でもご主人さまの求めに応じなければならないからだ。ぼくもシュークもチュー・オチューもパンテル・ネビュルーズも極めて理性的だ。
 だが、清姫先輩は有機人形には珍しい感情先行型だ。本能のままに感情を爆発させ、行動する。そして本能は多くの場合、正しい。冷静で慎重な者たちだけでは物事がなかなか先に進まない。直情型のリーダーが必要なのだ。
 シランバの訃報に続き、他のここにいないクラスメイトたちの近況報告。年長組や年少組のメンバーには初めて聞く名が多い。消息不明の者も多いらしいが…。
 ぼくもかなり昔にイワシ先生の言葉を思い出したのに一度も元クラスメイトと連絡を取る気にはなれなかった。みんな、それぞれの事情があるのだろう。シランバ同様、この世にいない者も何人もいるかもしれない。有機人形の命はとても軽い。
 さて、会議も終盤に差し掛かったところでぼくはある質問をした。これはある意味、最も重要な質問だ。ぼくはあえて挑発的な口調で言う。
「…で、イワシ先生がぼくたち教え子に協力して欲しい目的とは何でしょうか? まさかこんな辺境で『死ぬまでのんびり娼館を経営していたい』なんてことじゃないですよね?」
 途端に空気が一変する。チュー・オチューが悲しみから急に引き戻されたように言葉を選んで答える。
「その疑問については誰もイワシ先生から直接は答えてもらっていない。…でも過去にもときどきこの会議の議題に上った。結論は出ていないし、あくまで憶測でしかないんだが…」
 チュー・オチューは続きを言っていいものかどうか少し逡巡して右隣りを見る。視線の先の清姫先輩は形の美しい紅い唇を少しゆがめて言い放った。
「復讐!」
 その恐ろしいまでの美しさにぼくは思わず鳥肌が立った。そしてその言葉はぼくの推測とほぼ一致する…というより他の理由は考えつかない。ぼくは続けて切り込む。
「…で復讐の相手は?」
 今度はチュー・オチューが答える。
「おそらく…イワシ先生がマフィアに頼んでまで会いたい人物がその鍵を握っているのだと思う。いや、その人物が復讐相手そのものなのかもしれない」
「うん、ぼくもそう思う」
 ぼくはとりあえずそう答えたが、さらに掘り下げた質問はあえてしなかった。「復讐相手は一人なのか? 今回の相手とは全く別に他にもいるのか?」云々だ。これらの質問をしなかったのは痛くもない腹を探られる可能性があるからだ。だが、ぼくのそういったある種の隠し事を清姫先輩は見逃さなかった。
「…ではこちらも質問するわね。君のご主人さまは誰? 君を肉体改造したクトゥーラーは? 君にはどんな改造が施されているの? この三つのうち、どれか一つでいいから答えて」
 清姫先輩の視線は鋭く、ごまかすことを許してくれそうにない。
 実は三つ目の質問に関しては今日この場で言うつもりだった。だが、シランバの訃報を聞いて言う気が失せた。言えばチュー・オチューの気も少しはまぎれるかもしれない。いや、この改造をもてあまし気味のぼくに喜んで協力するだろう。でもそれじゃシランバがかわいそうじゃないか。物事にはタイミングというものがある。
「さあ、答えて」
 清姫先輩は容赦ない。言葉よりもその視線に抗えないような圧迫感がある。多分、弱い精神支配能力のようなものがあるのだろう。この三つの質問うち、三つ目に今は答えるべきでないなら一つ目を代わりに答えるべきだろうか? …そんなことまで頭をよぎる。…いや、だめだ。一つ目の質問に答えたらこの場が大混乱する。
 ぼく自身はこの場にいる仲間全員の能力等を知っているわけじゃない。あえて能力を仲間にも教えない方がいい場合もある。何気ない日常会話からマフィアに秘密が漏れる可能性もあるからだ。…とはいったものの、これは仲間を買いかぶりすぎで、大半の有機人形はたいした能力を持っているわけじゃない。ぼくも改造されていなければ基本能力は並以下だ。
 不意に横から助け舟が出される。
「あぞらんがどういう改造をされたかわたしは知っている」
 シュークが清姫先輩の視線を正面から受け止めてぼくの代わりに答える。そう、再会したときの風呂場での約束どおり、この会議の直前にシュークに一足先に話しておいたのだ。シュークは続ける。
「…でも今は話す時じゃないと思う。もう少ししたらあぞらん自身の口から必ず言うから、それまで待って」
 シュークの頭にもシランバのことがあるのだろう。シュークのまなざしは強く、清姫先輩の鋭い眼光にも一歩も引かない。
 会議室を緊張が支配する。他の有機人形たちは固唾を呑んで見守っている。
「わかったわ。今日はシュークに免じてこれ以上追及するのはやめましょう」
 暫しの沈黙の後、清姫先輩が折れた。珍しいことらしい。シュークにまた一つ借りを作ってしまった。
 疑念というより単なる好奇心でぼくの事を知りたがっている様子の仲間はいるが、清姫先輩が折れた以上、誰も更なる追及はしない。

 ぼくたちが定例会議を行っていたとき、イワシ先生は地階のある部屋の中にいた。その小さな部屋の存在はぼくも知っていて、イワシ先生に連れられて、あるいは一人でも何度か入ったことがある。
 その部屋の隅には小さなベッドがあって、一人の少女がその肉体を横向きに円を描くようにして横たわっていた。いや、一見しただけでは性別すら分からないほど改造されている。両眼は取り去られ、歯は全て抜き取られ、耳もなく、脳も一部を除去されたのか頭部は変形し、手足もなく…いや、胴体部分すらほとんど原形をとどめていない。まるで蛇か大きなミミズに人の顔のようなものがついていると言った感じだ。その造形にはある種の美しさすら覚える。
 ショートボブの黒髪にかろうじて元の肉体の名残がある。彼女にはいくつかの名があって、イワシ先生はどの名で呼ぶか少し逡巡したあと、あえてぼくたちがいつも呼んでいる名で呼びかけた。
「マリカナ」
 彼女は無反応だった。

                           に続く

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