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 こんだら亭一階茶屋奥でのマフィア「バジゲハリ」との会議が終わって二時間ほどした後、イワシ先生はぼくたち一部の有機人形を密かに地下の会議室に集めた。
 既にバジゲハリの面々のうちある者たちはこんだら亭を出てそれぞれの場所へ帰ってゆき、サーメンチャイ、ボーゲン・ディーマンほか二、三人は最近そうであるようにそのままこんだら亭に居座り、根城にしている各部屋に戻っている。今のところ、彼らに怪しい動きはない。
 全員そろったところでイワシ先生が唐突に言う。
「今夜、セツ・コバたちが夜ごと集まるクラブに奇襲をかける。…そう、今夜だ」
 ぼくは最初、少し驚いたが、すぐにその意味を理解した。イワシ先生が説明する。
「当たり前のことだが、われわれはバジゲハリの連中を信用してはいけない。もし連中の中に裏切り者がいたら時間を与えるのは致命的だ。もちろん襲撃日時は教えずに事後報告するのが前提だ。最悪、サーメンチャイのさらに上、マフィアのトップ同士で話がついて我々が『落とし前』として犠牲に差し出される…という可能性すらある。今はそういった気配はないようだが、事態はどこで急転するか分からない。急転しないうちに…という意味で今夜しかない」
 ぼくはイワシ先生の説明を聞いて納得したが、別の方法についてどうしても訊ねたかったので質問した。時間が希少なことはわかっている…。
「あの…これは全てをぶち壊しにすることかもしれませんけど…セツ・コバたちの殺害の約束は反故にしてサーメンチャイ、ボーゲンほかバジゲハリの人たちを捕まえて拷問するなり何なりして知りたい情報だけを引き出してはどうでしょうか?」
 イワシ先生は少し苦笑したあと優しく答えた。
「まあ、その方法もあるかもしれないね。でも今回は使えない。この国で内地に入るためにはいろいろな手続きが必要だ。正式なルートではかなり難しい。彼らのような裏社会の者がどうしても必要なんだ」
 一瞬、「強行突破」という考えも浮かんだが、無用の争いを避けるのに越したことはない。ぼくは了解し、次の質問をしようとしてやめた。今は時間がない。この件と直接関係のないことに時間を割くべきではない。
 ぼくの質問に対する応答が終わったところで偵察部隊及び襲撃部隊の編成についての話し合いが行われた。
 クラブに潜入する偵察隊はホーメンケ先輩(♀)とチュー・オチュー。まあ、彼らなら体の線が分かりにくい服を着てうまくメイクすれば人間の若者と区別はつかない。
 襲撃部隊は当然、ぼくとパンテル・ネビュルーズの二人だ。戦闘用有機人形はこの二人だけなので仕方ない。「暗殺」といってもターゲットは複数で、おそらく直接戦闘になるから戦闘用以外はかえって足手まといになる。多勢に無勢だが、奇襲攻撃を仕掛ける時点でこちらが有利だ。
 イワシ先生自身はこんだら亭で留守番だ。最悪、ぼくたちがセツ・コバ隊と戦っている間に敵の別働隊から襲撃される可能性がある。
 ぼくはパンテル・ネビュルーズと一緒に「バジゲハリ」側とチュー・オチューから提示された資料に目を通す。まずはジョーモ。セツ・コバの片腕ともいえる人物。イワシ先生と同レベルではないらしいものの強化人間、要注意だ。次にツンジャにユルツツ。この二人は銃の名手だそうで同じく要注意だ。続いて…もうぼくの頭の中では固有名詞を勝手にA、B、C…と記号に変換している。文字数も少なくてすむし、その方がかえって覚えやすい。特にもう一人のぼく(彼女)にとっては…。
 だけどなんといっても最大限に注意を払うべきはセツ・コバ自身だろう。彼自身も部隊の五人の強化人間のうちの一人で、おそらく最強だ。イワシ先生同様、全身を強化されているらしい。なんでもこの国の特殊部隊にいたそうだ…というよりセツ・コバ一味自体が特殊部隊崩れなのだ。以前に全滅させたカラジオのグループとはわけが違う。
 なんだか資料を見ていると「こんな連中相手にたった二人だけで勝てるのだろうか?」と不安になってくるが、パンテル・ネビュルーズも「彼女」も恐れなど微塵も感じてない。敵を過小評価するのは厳禁だが、過大評価もまた良くない。

 偵察隊の二人がこんだら亭を出発して15分、ぼくとパンテル・ネビュルーズはいつでも出撃できる体制を整えている。パンテル・ネビュルーズは文字通り「爪」を研ぎ、ぼくは既に別人格の「彼女」と入れ替わっている。
 カラジオらとの戦闘以来、「彼女」は何度もパンテル・ネビュルーズとは模擬戦闘訓練を重ねてきた。訓練では26回戦ってまだ一度もパンテル・ネビュルーズに勝てていないが、急速に強くなっているのがわかる。やはり強力なライバル(師?)の存在は有難い。
 ここでチュー・オチューからメール連絡が来る。
(セツ・コバの一味が誰もいない)
 …えっ? …じゃあ今日の襲撃は中止?…と思った次の瞬間、非常ベルに続きセギュルラ先輩(♀)のよく通る声が放送マイクでこんだら亭内に響きわたる。
「敵襲です! 何者かが集団でこんだら亭に襲撃をかけようとしています! あと二分ぐらいでこんだら亭に到着します! 非戦闘用有機人形は至急、お客様を最寄のシェルターに誘導してください! 繰り返します…」
 その声を聞き終わらないうちに「彼女」とぼくも複数の殺意が近づいてくるのを感じ取った。パンテル・ネビュルーズもほぼ同時にそれを感知したらしく緊張を高めている。
「1、2、3、4…8人いる」
「多分セツ・コバ隊全員。彼らは身内の結束が強いらしいからこの襲撃に仲間を外して部外者を加える可能性は少ない」
 お互いに声を出して情報と認識を共有し合う。ぼくはつい、「どさくさにまぎれてサーメンチャイとボーゲン・ディーマンを殺せないだろうか?」と考えてしまった。マフィアはいずれ必ず邪魔になるときが来る。あ、やっぱり今のは無し! 勝手なことをしたらイワシ先生が困る。そう念を押しておかないと「彼女」は本気でやりかねない。…ここまで考えて我ながら変な余裕があるとも思う。
 そろそろ連中が扉を開けて突っこんでくる、と思った次の瞬間、ドドドドド!…といきなり銃声の嵐が観音扉を打ち砕いた。これも予想はしていたことなのでぼくもパンテル・ネビュルーズも扉の前には立っていなかった。銃声と同時に電気のスイッチを切ってそれぞれ物陰に隠れる。相手は暗視用ゴーグルをしているかもしれないが、戦闘用有機人形にはとても及ばないだろう。暗闇ならこちらに分がある。
 マシンガンを持った男が二人、ほぼ同時に中に入ってきた。その瞬間、パンテル・ネビュルーズが音もなく飛びかかり、強化人間のマシンガンを蹴り落とすと同時にただの人間の頚動脈を鋭い爪で切断した。ジャンプして襲いかかるコンマ1秒の間に相手の人数、体格、強化人間であるか否か、強化人間の場合はその弱点(継ぎ目など)の位置、銃口の向き、外の連中との距離等を判断して最も適切な行動を取ったのだ。
 最も重要なのは最初の瞬間だ。そこで勝負が決まると言っていい。
 「彼女」はパンテル・ネビュルーズに0.2秒ほど遅れたので(本当は同時に飛び掛るのが望ましい)予定を変更して強化人間の手から落ちたマシンガンを部屋の奥に蹴り飛ばし、頚動脈を断たれた人間の背後に回ってその両手に「彼女」自らの手を添え、外の連中に向けてマシンガンをぶっ放した。これで二、三人(できれば残り全員)死んでくれると有難いんだけど…。
「あ゛るうぇおごう゛ぉぼおおお…」
 声にならない悲鳴を上げて頚動脈を切られた人間の男が息絶えるが、その前に何者かが正確にマシンガンの発射装置部分を打ち抜いて壊した。そしてすぐさま二発目を打ってきた。だが「彼女」はマシンガンを壊された瞬間に飛びのいて部屋の隅に隠れた。そういえば確か射撃の名手がいた。そして何よりも残りの連中は一人も死んでいない。銃器の扱いでは確実に相手の方が上だ。
 間髪入れずに再び銃弾の嵐。これでは身動きが取れない。それでも部屋の隅でパンテル・ネビュルーズは強化人間の目を潰し、生身部分をずたずたに切り裂いて戦いを有利に進めている。とどめはさせていないようだが。
 一瞬、銃撃の雨が止む。まずい!…そう思った次の瞬間、何かボールのようなものが投げ込まれた。手榴弾!…と確認する前に「彼女」は素早く背を向けてカウンター奥の安全な冷蔵室を目指す。投げ返そうとすると確実に撃たれる…いや、連中は手榴弾を撃って爆発を早めた。
 ドグォオオオォォォオォン!
 もちろん冷蔵室に逃げ込む時間はなく、耳をふさいでカウンターの向こうに飛び込むのが精一杯だった。調理台の側面に叩きつけられ、上からはガラスの破片が降り注ぐ。爆風に下半身をやられたのかキモノのすそは焦げ、左足にもかなりの火傷を負ったようだ。一瞬遅れて激痛を覚える。
 完全な判断ミスだ。強化人間と格闘していたパンテル・ネビュルーズはともかく、手持ち無沙汰な「彼女」は一刻も早くこの場を離れ、抜け道から外に出てセツ・コバ隊の背後か横から奇襲をかけるべきだったのだ。あるいはパンテル・ネビュルーズと同じ方向に飛びのけば強化人間の一人にとどめをさせたかもしれない。まだまだ「彼女」にもぼくにも経験が足りない。
 それでもどうやら生きている。体のあちこちを動かしてみる。痛みはするものの大きな骨折や脱臼はしていないようだ。中腰に立ち上がる。強化人間の仲間を殺さないようにと威力の弱い手榴弾だったことが幸いした。まだ全身はしびれ、頭はがんがん鳴っている。
 連中もまた、ぼくたちを確実に殺すことが目的のようだ。強力な爆発物で建物ごと破壊した場合、生死を確認するのが困難だからだ。非戦闘用の有機人形はできるだけ生け捕りにしたいというのもあるかもしれない。こちら側としては爆弾を仕掛けられた方がより困るのだけど。
 「彼女」は慌てて体を伏せる。連中が室内に入ってきた。瀕死の強化人間を回収し、さらに連中のうち三人がまっすぐこちらにやってきた。どうやらカウンターの陰にいる「彼女」(ぼく)の存在に気付いてるようだ。暗視ゴーグルどころか温度差感知スコープか何かをつけているのかもしれない。しかもそのうち二人は強化人間のようだ。まずい。万全な状態でも銃器を持ったこの三人と真正面からやりあうのは厳しい。ましてや「彼女」はダメージを負っている。だが「彼女」もぼくも絶望に打ちひしがれてはいなかった。
 イワシ先生が近づいてくるのを三メートル横の扉のすきまから感じていたからだ。(遅ーい!)と「彼女」は心の中で不満を表す。いや、全くその通り。イワシ先生がもう少し早く来てくれるか、あるいは別の場所から援護射撃してくれればもう少し楽な戦いができたのに。
 遅れて連中もイワシ先生の存在に気づく。イワシ先生が向こう側から扉に近づいたあたりで温度差感知スコープに反応したのか、一人が「あれ」と扉の方向を向いて言う。あとの二人もそちらを向き、銃口を向ける…それだけで充分だった。「彼女」は視線と銃口が自分のいる方から離れる瞬間、横から飛び出して手前の男の銃を蹴り飛ばし、樹脂製の短刀で真ん中の男の顔面を切り裂き、三人目の男A…ジョーモという名だったか…には強化装甲に阻まれてダメージを与えられずに飛びのいた。
 だが連中は「彼女」に銃口を向けることも取り押さえようとすることもできなかった。イワシ先生が勢い良く扉を開けて飛び込んできたのだ。そして小型バズーカ砲のような大口径の改造銃を至近距離から真ん中の強化人間に向けて撃った。強化人間はそのまま吹っ飛ばされて反対側の壁に叩きつけられる。
 もう一人の強化人間ジョーモは一瞬、吹っ飛ばされる仲間を見やったあとイワシ先生に銃口を向けようとするが、「彼女」がそれを許さない。横から飛び込んで短刀で銃身を破壊した。続いて「彼女」は正確に装甲の隙間を狙ったが、ジョーモは左手の装甲でそれを払いのけた。
「逃げろ!」
 表から(多分)セツ・コバの声がした。他の仲間と共に援護射撃をする。ジョーモは破壊された玄関に向かって走り出した。名人がいるのだから援護射撃は正確だ。「彼女」は身動きが取れない。その間、セツ・コバはその巨体で、壁に吹っ飛ばされた強化人間を背負って救い出す。だが、連中の仲間の一人(人間)はその前にイワシ先生に殴り潰されている。
 ばたん! ブロロロロロ…
 ドアが閉まる音とともに連中を乗せた車が走り去る。
 パンテル・ネビュルーズがよろよろと地下室から階段を上ってくる。良かった! 無事だったんだ!
「今すぐ追いかける! あぞらんも一緒に来て! 街中なら追いつく」
「『いや、病院に先回りした方がいい』…ともう一人のぼくが言ってる」
 ぼくたち二人はすぐに車が走り去った方向に駆け出したが、ぼくはパンテル・ネビュルーズの様子が少しおかしいことに気付いていた。

 病院正面の駐車場では重傷の強化人間二人を職員が移動ベッドに乗せて院内に運び込むところだった。強化人間を治療できるような大きな病院で「コロセ」の息がかかっているのはここしかない。ただでさえ大柄な重傷者が二人、しかも金属装甲を施した強化人間なのだ。一刻を争う事態なのにベッドに乗せるのにも苦労する。
 ジョーモが責任者らしいやせた中年の男性医師にまくし立てる。
「何もたもたしてんだ! 二人に何かあったらただで済むと思うな! おまえには確か14になる娘がいたよな。娘が生きたまま生皮を剥がされるところを見たくなかったら…」
「余計なプレッシャーをかける暇があったら手伝え。…それと、女は生かしておいた方がいろいろ使い道がある」
 セツ・コバが周囲を圧するような静かな声で諌める。
 その間、ぼくたちは正門のところにいた「コロセ」の見張り二人を同時に始末する。
 それから連中全員で動けない強化人間を運ぶ隙を見計らって「彼女」とパンテル・ネビュルーズが同時に別方向から飛び出して襲いかかる。「彼女」はジョーモに、パンテル・ネビュルーズはセツ・コバに。事前の打ち合わせ通りだ。
 その前に残る二人(ただの人間一人に強化人間一人)をそれぞれ襲撃と同時に始末しておかなければならない。セツ・コバやジョーモに先に襲い掛かるという手もあるが、この二人は強化部分が広範囲で一撃では倒せない。彼らとの戦いに専念するためにも残りの無事な二人は先に戦闘不能にしておきたい。
 「彼女」はただの人間の方をその樹脂製ナイフで頚動脈を切る。…が、同時にこの人間は信じられない速さで腰の小銃を手に「彼女」に向かって撃ってきた。そう、この男は射撃名人のB(ツンジャという名だったかな?)だ。「彼女」はそれを予期し、十分警戒していたにもかかわらず一発目は左肩をかすめた。鋭い痛みが走る。どこかに相手を過小評価したところがあったのかもしれない。だが二発目以降は当たらなかった。Bはそのまま首から鮮血を噴出して崩れ落ちた。
 強化人間の方はパンテル・ネビュルーズが非強化部分の顔面右半分を爪で抉り取って動けなくした。生きていたとしても戦闘不能はもちろんのこと、おそらく再起不能だろう。無論、あとできっちりとどめを刺すつもりであろうが。
 さて、「彼女」の方は人間Bの頚動脈を切ったあと、返す刀でジョーモの右肩の装甲の隙間を切り裂く。
「うっ」
 ジョーモがうめき声を上げる。実は「彼女」はセツ・コバと戦いたがっていたが、現時点ではパンテル・ネビュルーズの方が力は上なのでこの措置は当然だろう。先刻のこんだら亭で軽くだが実際に戦ってもいる。装甲の状態も完全に頭に入れてある。走ってここまで来る間に対ジョーモの何十通りのシミュレーションもしていた。
 そして最初の一撃で勝負は決まったといっていい。「彼女」の左肩の傷や左足の火傷はハンディキャップにもならなかった。もともとの戦闘力に差がある上に奇襲に成功している。こちらは準備万全だった。慌てる必要はない。じっくり相手の戦力をそぎ、不必要にいたぶることもなく速やかに止めを刺す。一分とかからない。…だが、ジョーモとの戦闘に集中している間、「彼女」の方向に銃口を向けている者がいた。セツ・コバやジョーモに脅されていた中年医師だ。
 ズギュウウウウン!
 銃声は別の方角から鳴り響き、中年医師が左胸を打ち抜かれて倒れる。「彼女」は銃声がした方向を見やる。
「危なかったな」
 少しにやけたような表情で長身の男が歩み寄ってくる。その…少し耳障りな声は…ボーゲン・ディーマン! まずい! 全然気づかなかった! こちらに銃口を向けていた中年医師のことではない。医師が銃を向けていることには気付いていた。だがその手は震えていたし、銃口も正確には「彼女」の肉体には向いていなかった。手ぶれの角度からしても確実に当たらなかっただろう。
 だが、ボーゲン・ディーマンの存在は感知できなかった。距離はあったが、テレパスの範囲内だ。もし彼の銃口が自分に向いていたらおそらく命はなかった! なんという失態!
「おいおい、そんな目でにらむなよ。言っておくが『殺す必要はなかった』なんて甘ちゃんな考えはやめた方がいいぜ」
 …そうだな。確かに今ここでボーゲンを殺しておいた方がいいような気がする。できるだけ殺気を消すように「彼女」に指示して今度は本気でボーゲンをどさくさ紛れに殺すかどうか思いをめぐらす。「彼女」はボーゲンを殺したくてたまらないようだ。むしろ喜びに満ち溢れた感情で笑みがこぼれる。ボーゲンは今のところ、こちらには害意を抱いてないようだが、彼の心はどうも読めないところがある。警戒を解くべきではない。
 だが、最も重要なことを忘れてはいけない。そう、今パンテル・ネビュルーズとセツ・コバが戦っているのだ。場合によっては援護しなければならない。とりあえずはボーゲンが変な行動を取らないように注意しつつ、パンテル・ネビュルーズの方に目を向ける。
「あれ? あぞらん、いつの間に女の子になったんだ?」
 ボーゲン・ディーマンがこんな時にどうでもいいことを言ってくる。答えるのも面倒くさいので無視する。そして決断する。もしパンテル・ネビュルーズがやられそうになった場合はセツ・コバと戦う前にボーゲンを殺そう。後ろから撃たれることだけは避けたい。
 パンテル・ネビュルーズは戦いを有利に進めていた。自身も無傷ではないもののダメージの差は明白だ。しかもボーゲン闖入の隙にさらなる一撃を食らわせることができた。「手を出すなよ」とその目が語っている。無論、邪魔するつもりはないが、セツ・コバが妙な動きをした場合、例えば自爆装置があったとしてそれに手をかけたときなどは素早く阻止できるようにはしている。
 セツ・コバは強化人間としてはかなり強い部類だ。だが、なかなか強化できない部分がある。それが反応速度だ。戦闘用有機人形とはこの部分で埋められない差がある。攻撃力と防御力と経験値で上回ってもスピードと戦いのセンスはとてもパンテル・ネビュルーズに及ばない。
 さらにパンテル・ネビュルーズには通常有機人形レベルのテレパス能力がある。どういう攻撃(あるいは防御)をしてくるかまではわからないが、相手の心理は手に取るようにわかるはずだ。この差は大きい。
 セツ・コバは自身の不利を自覚していた。しかも仲間は既に全員が倒され、例え目の前の敵を倒したとしても傷ついた体であと二人を相手にしなければならない…。彼は後ろに飛びのき、跪いてうずくまろうとしながら叫ぶ。
「待ってくれ! 降参する! 知っていることは全部話…」
 ボーゲン・ディーマンがとっさに銃口を向けようとするのを「彼女」は横から制する。余計なことをするな! パンテル・ネビュルーズに当たったらどうする!
 …そう、パンテル・ネビュルーズは「彼女」やぼくと全く同じ考えだった。セツ・コバの言葉には全く耳を貸さず、単に止めを刺す隙ができたとしか思わなかった。「彼女」と違うのは耳がほとんど聞こえてなかったことだ。実は片目も見えていなかったらしい。こんだら亭で襲撃を受けた際に手榴弾の爆音と爆風にやられたせいで…。それでもパンテル・ネビュルーズはセツ・コバ相手に一方的に攻め、今、首の装甲の隙間を切断して命を絶った。
「あっさり殺すなよ。こっちとしてはいろいろ聞きたいこともあったんだけどなあ」
 ボーゲン・ディーマンが髪を掻きむしりながら少し眉間に皺を寄せてつぶやく。だが、今回は殺して正解だ。セツ・コバは反撃の意思を捨ててはいなかった。もし攻撃の手を止めて話を聞こうとすれば体に仕込んだ何らかの(準備に手間取る)銃火器を使ってきただろう。
 パンテル・ネビュルーズがセツ・コバと戦う前に倒し、戦闘不能になっていた強化人間三人に止めをさして言う。
「セツ・コバ軍団、これで八人全員殺したけど、証人になってくれるよね?」
 そうだ。言われてみれば証人が必要だ。一応、死体の写真は撮っておくが、どこまで鮮明に写るか分からない。新聞記事になるかどうかも怪しい。不明瞭な写真だけでは始末したという証明は難しいかもしれない。
「あれ? 首は?」
 ボーゲンが困ったように問いかける。もしかしたら目的はセツ・コバほかの首回収だったのかもしれない。ぼくたちはそんなことは命令されていない。というよりイワシ先生が死体の冒涜をかなり強硬に反対した。不必要に憎悪をあおるのは愚かなことだ。
「欲しけりゃ自分で斬ってね。それじゃ…」
 「彼女」はパンテル・ネビュルーズと共にその場を後にする(もちろん後ろから撃たれないように注意はしながら)。パンテル・ネビュルーズは「ボーゲンには妙にそっけないんですねえ、先輩」とでも言いたそうに笑う。
「お、おい! 待ってくれよ」
 慌ててボーゲンが追いかけてくる。もたもたしていると病院の誰かが『コロセ』に連絡してすぐにでも大勢やってくるかもしれない。
 そのまま「コロセ」の連中に捕まっちゃえばいいのに…半分本気でそう思った。あ、でもやっぱり証人はいてくれた方がいろいろ楽かな?

                               に続く

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