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 シュークとぼくはそれぞれ着替えて頭を乾かした。ぼくにとっては久しぶりの入浴で、ついつい長風呂してしまった。おまけにヘルメットの中は髪を乾かしにくい。しかもちゃんと乾かさないと臭くなる。つくづく厄介なものをくっつけられてしまったと思う…。
 シュークは白のナイトキャップに白のフリル付きマスク、白のネグリジェ…一見するとさっきとあまり変わってないようだけど、ゆったりした感じになっている。このまま寝ることも、お客さんの相手をすることもできる。今晩は前者の予定だろうけど。
 ぼくはタンクトップにショートパンツを用意してもらった。シュークがちょっと怪訝な顔をする。
「長旅で疲れてるんでしょ? まだ起きてるつもりなの?」
「うん、これからイワシ先生がちょっといろいろありそうだから…」
 そう、イワシ先生は近々入国する知り合いと(この部分は本当かどうか怪しい)、その後マフィアと会うことになっているのだ。
 着替え終わったぼくたちは地階から一階に上がる。

 すぐに不審に気付いた。イワシ先生がいない。…というよりこんだら亭の中にイワシ先生の意識が感じられない。
 しまった。長風呂しすぎた。イワシ先生は「五、六時間後に」と言っていたが、マフィアの連中はそれより早い時間に呼び出したのだ。
 一階受付にいるタノに訊く。
「イワシ先生は?」
「20分ぐらい前に出かけたよ」
「マフィアに呼び出されたのか?」
「…そうみたい」
 ぼくはバッグの中からコートを出して羽織る。
「どこへ行ったかわかる?」
 タノが受付のコンピュータの画面を拡大させて見せる。GPS機能だ。
「この赤いのがイワシ先生の携帯端末、黄色がマフィアのだからもう会ってるね。…あ、でも『心配するな。お前たちはここにいろ』って言ってたし。…パンテルちゃんも一緒だし…」
 そりゃ「ご主人さま」がそう言ったのならそうすべきだろう。有機人形三原則の「1」は「ご主人さまには絶対服従」だ。
 だけど今は一刻を争う。ぼくは玄関のドアを開ける。シュークが驚いたように声をかける。
「…え? あぞらん、行くつもりなの?」
「まさか…、不安だから気を紛らわしにちょっとそこらへんを散歩するだけだよ。遠くへは行かない。シュークも一緒に来る?」
「うん」
 シュークがピンヒールを履く。いくつかの理由でシュークには一緒に来て欲しかった。
 タノは少しほっとしたようだ。
「それなら良かった。行っても足手まといになるだけだからね」
 ただでさえイワシ先生の身が危険なのに、ぼくが行って足を引っ張ったら危険度はさらに増すと考えているのだろう。そう考えるのは正しい。タノはイワシ先生を信じて必死に不安を押し殺そうとしているが、心はつぶれそうになっている。
「シューク、携帯(端末)は持ってる?」
「うん」

 ぼくはシュークと一緒に外に出た。すぐにシュークは訊ねる。
「やっぱりイワシ先生のところに向かうの?」
 …シュークには嘘は一発で見破られてしまう。一応、本気で「散歩に行くだけ」と「思った」つもりだけどシュークはごまかせなかった。
 行くのを止めないのはイワシ先生に直接命令されたわけではないからだ。また聞きの命令に関しては有機人形自身がその真偽も含めて従うかどうか判断する。…この場合は普通ならタノの伝えた内容に従うべきだけど…。
 あるいはタノもぼくの嘘を見破った上であえて気付いてないふりをしたのかも…それはないか。タノだったら本気で止めていただろう。
 シュークが白いフリルつきバッグから携帯端末を取り出してイワシ先生の位置を映し出しながら不安そうに訊ねる。
「イワシ先生、殺されちゃうの?」
「わからない…。でもさっき、カラジオが外に出た時、連中のボスとの電話での会話の内容をはっきり聞いた。ぼくはこの国の言葉にはそんなに堪能じゃないけど、聞き間違ってはいないと思う。『仲間を全員集めろ。1億Dを受け取ったらもう用はない。砂漠に連れ出して殺せ。死体すら見つかるまい』と」
 シュークは一瞬、絶句した。そういうこともあろうかと予想していただろうが、それはまさに最悪ともいえる内容だ。
「…うそ…。なんでそんなことがわかるの? そのヘルメットみたいなの、盗聴機能でも付いてるの?」
「うん」
 ぼくは初めてこのヘルメットの能力の一端を明かした。実は盗聴は副次的な機能に過ぎない…なんていうと、このヘルメットもどきが凄いもののように思えるかもしれないが、実のところ家電新製品みたいにムダ機能ばかりでほとんど役に立っていない。
「なんでそれを早く言わないの! イワシ先生には伝えた?」
「いや…」
 シュークは慌ててイワシ先生の携帯端末に電話をかけようとする。ぼくはそれを制した。
「だめ! 端末をマフィアに取り上げられている可能性がある。イワシ先生をより危険にさらすかもしれない」
 ぼくのその強い口調にシュークは思わず手を止めた。一瞬シュークを連れてきたことを後悔するが、どちらにせよ今回ぼくの能力の一端を明かすことになるだろう。そのときイワシ先生(とパンテル・ネビュルーズ)だけでは他の仲間から無用な不信を抱かれかねない。やはり立会人がいた方がいい。できるだけぼくと親しい立場の…。
 ぼくは最終的な確認をする。
「ねえ、シュークのご主人さまはイワシ先生なの?」
「当たり前でしょ!」
 そう言ったシュークの心には一点の嘘偽りも感じられなかった。
 実をいうとぼくは誰かがマフィア側に(たとえ本意でなくとも)寝返っている可能性も考えていた。ぼくはここに来たばかりでマフィアの規模や接触の頻度がよくわからない。全員がイワシ先生を「ご主人さま」としているかどうかを一人ひとりに訊いて回ったわけじゃない。常に最悪のことを頭に入れておく必要はあるが、内通者の可能性を不用意に口にするのは味方に不和の種をばらまくことで結果的に敵を利することになる。
「…そういえばあぞらんはイワシ先生との『誓いの儀式』がまだだったね」
 そう、イワシ先生を「ご主人さま」とする「誓い」をまだしてない以上、厳密には今現在、ぼくのご主人さまはイワシ先生ではない。でもぼくはイワシ先生を助けるために全力を尽くすつもりだ。
「マフィアをまとめてやっつける方法がある…」
「…?? え? …どうやって?」
「ひ・み・つ」
 ぼくは軽くウィンクして微笑んだ。ここではシュークを安心させることが第一だが、口で説明しても安心してくれるかどうか…いや、それ以前にぼくの言うことを信じてくれないかもしれない。それだけ突拍子もないことだからだ。
 それに…実をいうとぼく自身もかなり不安なのだ。シュークの不安を和らげるための不敵な態度と言動は自分自身に言い聞かせるためでもあった。シュークはぼくの不安を敏感に感じ取るからだ。
 ぼくはシュークの携帯端末に目をやる。
「…あ、イワシ先生とマフィアが移動し始めた。このへんにレンタルリザードない?」
 シュークがイワシ先生とマフィアの位置を画面に映し出したまま、乗用動物貸し出し業を検索する。ラクダでもいいが、トカゲ(砂漠に生息するトカゲを遺伝子改良して大型化したもの)の方が安価だ。
「あるけど…」
「じゃ、そこに急ごう」
 移動したということはマフィアがイワシ先生を殺害するために砂漠に連れ出したということだ。予定が変わって既に殺した後、砂漠に捨てに行ってるのかもしれないが…。
 ぼくとシュークは最寄りのレンタルリザードに向かう。
「早くぅ、急がないとイワシ先生が危ないんでしょ?」
 ぼくは全速力で走っているつもりなのにピンヒールを履いたシュークよりも遅い。自分でもちょっと情けなってくる…。

 ぼくには二つの選択肢があった。こんだら亭にとどまるか、イワシ先生の元に行くか。
 ここからは確率論だ。
 カラジオの電話を盗聴した内容から推測すると、マフィアの別働隊がイワシ先生不在のこんだら亭に有機人形をさらいに来る可能性は低い。たとえ別働隊が来たとしても目的は有機人形たちの誘拐であって殺害ではない。いずれにせよ緊急の生命の危険はない。
 一方、イワシ先生は明確に命の危険にさらされている。
 実は万が一、イワシ先生が亡くなったときのことも既に考えてあった。ぼくは「ご主人さま」を失ったシュークと共にこの砂漠を旅しながら…そう思ってふと怖くなる。ぼくはイワシ先生を心配しているつもりで心の奥底ではその死を望んではいまいか…。
 いや、イワシ先生の後ろ盾なしでどうやって有機人形だけでこの世界を生き抜いてゆける? シュークと二人だけなら何とかなるだろう。だけど他の仲間たちもいる。そして何よりもぼくに課せられた使命…考えただけで気が重くなる。
 全てにおいてイワシ先生が生きていてくれた方がいい…。

                            に続く

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