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 夕方、西方ニッポン皇国内地、キボウバシからの帰り道。ぼくたちは走行中の地上車の中にいる。来た時と同じ古ぼけたワゴン車だ。行きと比べて人数が二人減っている。
 ボーゲンとその部下が、始末した二人の監視員の暗灰色のスーツを代わりに着ている。万が一のときには、これでごまかせるかもしれない。監視員は二人とも撃たれたとき上着を脱いでいたので、血は目立たないところに少し付着しているだけだ。最初、イワシ先生がそのうちの一着に袖を通そうとしたが、大男のイワシ先生に監視員のスーツは小さすぎた。ボーゲンでもやや小さいが、入らないこともない。
 二人の監視員の死体はあえてそのままにした。発覚は少しでも遅らせた方がいいし、村人たちが腹の中に収めてくれればうやむやになる可能性が高い。まあ、半分は願望であるけど。独裁国家なんて国民みんなが独裁者や国家に心からの忠誠を誓っているわけじゃない。恐怖政治が行き着くところは極度の事なかれ主義だ。中間管理職から末端の国民に至るまで些事も重大事もすべからく揉み消したがるのが常だ。
 ボーゲンの部下が運転し、ボーゲンが助手席、後ろの荷台にはホーメンケ先輩、イワシ先生、ぼくの順に前を向いて座っている。今は再びぼくが「彼女」と入れ替わっている。
 ワゴン車には普通に盗聴器が仕掛けられていた。なぜ盗聴器の位置がわかるのかボーゲンが不思議がったが、「有機人形にはそういう能力のある者も少なからずいる」でごまかした。嘘ではない。
 ボーゲンとその部下がそれらを外すのを見ながら、殺された二人の監視員のことを思う。彼らも監視されていたのだ。予想してはいたが、やるせない気持ちになる。だがそれは一瞬で、すぐにこれからのことを考える。
 ボーゲンは持ち前の交渉力で国境の検問を突破するつもりだったようだが、ぼくは別の案を提示した。

 この国の国境には壁がある。文字通りの「壁」だ。中華共和国「天」に今でも残存している万里の長城ほど立派ではないものの、人の行き来を阻むには充分なコンクリート製の巨大な囲いだ。高さは10メートルほどもあり、上には電線が張られていて、高圧電流が流れている…ことになっているがたびたび停電…どころか電気が流れている時間の方が短いらしい。これは公然の秘密だが、壁の外側に暮らす人たちはみんな知っている。
 こんだら亭のある国境の街…ジャハイは壁の外側にあり、西方ニッポン皇国の飛び地にあたる。皇国は壁を作った時点でジャハイを外側に配置したのだから、過去の独裁者も外国との交渉、貿易の必要性は感じていたのだろう。ただ、当代において経済は停滞、疲弊し(独裁国家の常だ)、外国資本を中途半端に取り入れようとしてますます国内経済が立ち行かなくなるという悪循環に陥っている。
 さて、ぼくが提案したのは、見張りのいなそうな場所で文字通り「壁を乗り越える」ことである。その方がボーゲンの交渉力と賄賂に頼んで検問を突破するよりも可能性が高いと思ったからだ。
 独裁国の公務員なんて事なかれ主義者が大半だろうが、バカみたいな原理主義者やカルト国家に本気で忠誠を誓っている狂信者も少なからずいる。そういうのに当たったら戦闘は免れない。行きのときに確認した検問所の衛兵の人数からしてまずぼくたちが負けることはないと思うが、イワシ先生が以前に言ったとおり今後のことを考えると無用のトラブルは避けた方がいい。いざとなったときのボーゲンたちの裏切りも考えられる。
 ボーゲンと部下は不満というより不安そうだったが、「無理だと思ったらやめる」ということで折れた。

 適当なところでワゴン車を乗り捨て、そこから壁までちょっとした砂丘を歩く。日も落ち、あたりは(普通に)停電していて暗くなっている。薄明と星明りを頼りに壁の下まで辿り着く。
「ここを登るのか」
 ボーゲンは髪をくしゃっと掻いて途方にくれたような表情をする。
 ぼくは再び「彼女」と入れ替わる。「彼女」は左腕に隠していた樹脂製のナイフを取り出して壁を傷つける。予想通り、いや予想以上にあっさりひびが入ってコンクリートがぼろぼろ崩れ落ちた。不純物の多い水増しコンクリートなのだろう。
 言いだしっぺのぼく「彼女」がイワシ先生から金属製のナイフを借りてぼろぼろコンクリートを切り削り、足場を作ってゆっくりよじ登る。樹脂製のナイフは硬いものに続けて当てると金属製より早く刃こぼれする。
 他のみんなは下で待っている。さすがにボーゲンたちも変な気は起こさないだろうし、イワシ先生がやられるとも思えない。何度か足場が崩れて滑り落ちそうになるが、少しずつ壁の頂上の電線に近づく。まあ、下からでも何となく高圧電流は流れていそうもないと思っていたが、ここまで来ればはっきりわかる。停電中だ。高圧電流は強い電磁波を放射しているので大半の有機人形はそれを感知できる。
 ワゴン車にはトランクにロープは置いてなかったので現地調達することにした。つまり電線を切ってロープ代わりに使うのだ。さすがに鋼鉄製の電線は硬く、金属製ナイフでもなかなか切れない。8−9メートルの長さに両脇を切るのに30分近くかかった。
 高圧(の流れていない)電線は数メートルごとにコンクリートに半ば埋め込まれた鉄筋に支えられていた。切った電線をそのコンクリートの土台に結び付けて壁の内側、みんなのいる方に垂らす。これなら登っている途中で万が一、電流が流れてきても感電しない。
 まず体重の一番軽いホーメンケ先輩が電線を伝って登ってくる。続いてボーゲン、イワシ先生、最後にボーゲンの部下が登る。
 全員登ったところで今度は外側に電線を垂らしてそれを伝って一人ずつ降りる。実はボーゲンに関しては半分「落ちればいいのに」と思っている。願うくらいいいでしょ。まあ、下は砂だからかなり上の方から落ちても死んでくれるかどうか…。
 全員が外側に降り立つ。とりあえず全員が無事に戻って来れたことを表面上は祝う。この内地行の後味の悪さを少しでも打ち消すかのように。

 ボーゲンの部下とイワシ先生がそれぞれ携帯端末で飛行車タクシーを呼ぶ。ジャハイまで80kmぐらいだろうか。
 「彼女」はふと空を見上げる。満天の星々を天の川(銀河)が南北に貫く。ぼくは思う。壁の内側の人たちにもきっと同じ星空が見えているのだろう。同じ星空が見えるのに、彼らにとって自由の地ジェオギャラックス(大地の銀河)はあまりにも遠い。

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